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胡岡崎初代会長と全青連第4代主席胡啓立氏


1979年6月中旬、東京青年会議所メンバーとして親交を深めていました、中華全国青年連合会の劉維明主席代理を団長とする総勢15名の代表団を友人として慰労する為、有志数名がマイカーを運転して箱根温泉一泊の旅行へ招待し野天風呂に浸かり裸の付き合いが始まりました。

この箱根温泉の晩餐後、すっかり打ち解けた雰囲気の下、戦後27年間の空白と国交回復7年が経過したが戦中の負の記憶・社会主義/資本主義と異なる体制等々が障害となり疑心暗鬼を内に秘め遠慮がちな従来の交流を改め、相互理解を深め不幸な歴史による不信感を除去し友好交流を各分野で積極的に進める事が急務であると結論されました。

更に、社会主義信奉者・革新政党人種を中心にした人々に独占されていた日中友好運動を主義主張に関係無く一般国民の交流へと発展させるべきであり、日中友好を大衆レベルに根付かす事が大切と認識されました。

具体的な行動として、中国から優秀な青年を日本の企業へ招き1ヵ年研修生として先進的技術や企業管理手法を学び、併せて日本の資本主義社会制度・生活文化習慣を理解し、帰国後は日本の実状を正しく中国民衆へ伝え友好親善の増進に役立つ研修事業が提案されました。

上述箱根温泉深夜の会談が、当協会設立の動機であります。日頃より日中の青年交流に関心を持たれご指導を頂いていた親中派財界人の第一人者岡崎嘉平太氏にこの会談内容と我々若手の考え”中国青年を日本企業で1ヵ年無償で研修して頂きその滞在を通して相互理解と相互信頼の醸成・親日人脈の拡大等民間外交の効果”を説明し、賛同と全面的支援を約束して頂きました。

早速、添付の如く中国の中日友好協会長寥承志先生宛に岡崎先生より親書が送られ、中国青年研修生に日本の企業で先進技術や企業管理を学んで頂き、この研修事業を通じて両国の相互理解と民間友好交流の増進、更に中国の産業近代化に貢献する人材育成も期待出来る事が提案されました。

岡崎提案に対し、感謝の意と研修事業への賛同と全面支援の回答が参り、中国側対応機関”中華全国青年連合会”の胡啓立主席より具体的に中国青年を研修生として日本企業へ派遣する準備を開始する旨の書簡が入電、同時に日本側の受け入れ窓□組織”日中青年研修協会”が岡崎先生を会長に任意団体として設立する準備が始められました。

当時、日本国内では中国フィバーの下、未知の社会主義国家中国への興味と恐れ、先の侵略戦争の反省、数千年来の諸々と恩恵を披って参った中国文明に対する尊崇と親近感が綯い交ぜと成った複雑な国民感情が支配的でした。

研修生が日本国内で共産主義の宣伝などの政治活動を働<問題又亡命事件などの外交問題等は民間企業では手に負えないと産業界では研修生受け入れ実施を躊躇し研修事業の展開が渋滞していました。
この様な困難な情況の解決案として、産業界・外務省等の期待を背景に中国青年研修生の日本滞在中の保証人として全責任を担う組織の設置が求められ、1979年8月31日東京プリンスホテルにおいて発起人総会が開催され、岡崎嘉平太氏を会長に選任、当協会が正式に発足した次第です。

趣意書あいさつ背景と経緯協会の歩み中華全国青年連合